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  [概要:宿泊費がかさむ首都ではドミトリー泊。アジアとはちょっと雰囲気が違った。]

 第10話 スバのドミトリーでのいろいろ (スバ)

ナナヌイラで二泊した私は、クリスティことKさんと一緒に島をでることにした。ナナヌイラは悪くはないけど、よくもない島で、二日いれば充分かなっていう気がしたのだ。風がごーごー強すぎてのんびりできないんですもん。
行きと同様、コンティキの送迎ボートに乗りビジレブ島に戻ると、客待ちをしていたタクシーでラキラキの町へ。 タクシー代は、ボートに同乗していたカップルと4人で頭割りした。

1台10ドル。ってことは、1人2.5ドル。つまり、行きのタクシーぼってなかったんだなぁ。ちょっと悪いことしたかも。

ラキラキの町からローカルバスに乗り、くフィジー諸島の首都スバに向かった。
ビジレブ島をラウトカから北東へぐるっと時計回りにスバまで走る道をキングスロードと言う。ラキラキはそのキングスロードのちょうど中間地点に当たるわけだけど、今回乗ったラキラキ-スバ間は、まだまだ舗装が進んでいない田舎道で、バスは上下に揺さぶられながら、狭いダートを走り抜けていく。
この間、およそ3時間。町という物はついぞ現れず。たまーに村とでもいうのか民家が数件、そして子供がわーーっと水遊びをしていたりして、「お、人すんでんのか」と少し驚く。

首都スバに着くと、Kさんと二人宿を求めて町を歩き出した。
スバは大きなビルこそないが、小綺麗にまとまった小さな町だった。店舗の看板は全て英語表示。△屋根の西洋式の建物に、教会。町のどこを見ても、今日走ったキングスロードにあったようなフィジアンの生活感がない。「ここはフィジーだ!」という主張が何にも感じられず、この町はイギリス植民地時代にイギリス人が作ったものだと一目見てわかる。

「なんかさぁ。ニュージーランドとかオーストラリアの町ってこんな感じなんじゃない?」

Kさんに尋ねてみると、彼女は「あ、そうね。ニュージーランドはこんなだったよ」とあっさり。 やっぱりな。ニュージーランドもオーストラリアもイギリスが入ったとこだもん。
つくづく思うが、イギリス人旅行者は、世界中の植民地をどういう気持ちで眺めているんだろうか。まあ、フィジーは今植民地ではないけども。

変な気分を押さえながら、Kさんと二人宿探しを続けた。
フィジーは、イギリスの影響か、はたまた近隣のオーストラリア等の支援でもあるのか、インフラは割と整っており、そのお陰で結構宿が高い。
例えば、昨晩まで泊まったコンティキだって、風力発電とはいえ一日中電気が使えた。宿泊費も日本のキャンプ場並。そして、首都のスバともなると、個室は2,3千円を超えるのは当たり前で、出費を抑えようとするとドミトリーになる。
ラキラキのショップ
【クリスティ、アイス買い食い】

フィッシュアンドチップス
【でた~フィッシュアンドチップス】

スバ行きのバス
【キングスロードを走るバス】

しかし、そのドミトリーがすごく清潔で、お湯はふんだんにでるし、おまけに簡単なキッチンもついていて、住み着いている人までいる。人生に疲れた風のさまよえる西洋人じいさんや出稼ぎ労働者らしきフィジアンがそれだ。
欧米や日本のユースホステルの感覚で訪れる旅行者、カプセルホテルの様な感覚で一時的な宿泊所にするローカルのおじさん。そして、何をするでもなく、ただそこで生活している西洋人の老人。
一泊F$9のその部屋は、アジアの安宿で見かける沈没者とはまた違った人種のたまり場になっていた。

さて、その少し違う人種のたまり場になっていたドミですが、旅行者の中にも我々と少し違った感覚の人がいた。オーストラリアからやってきたSくんがそれ。私は普通に旅先で会った旅人の1人として、彼と話をしていた。 いつオーストラリアから出てきて、フィジーにはどれくらいいて、どこを回る。そう言った旅人のたわいない話だ。

話しているうちに、実は彼はオーストラリア人だが、インド人とドイツ人のハーフだということがわかった。 もともとインド国籍を持っていた彼は、すごくまじめな勉強家で国費でオーストラリアに留学、そのままオーストラリアで就職。そして、オーストラリアに帰化したとこういう訳。つまりはほとんどインド人である。

彼は、1ヶ月のクリスマス休暇を利用してフィジーにやってきたそうだが、旅慣れていない上に、人慣れていなかった。
そこでたまたま出会ったのが日本人旅行者の私で、しかも私はインドに何回も行ったことがあり、割と興味を持っている。今回の旅行ではイギリス植民地時代に流れてきたインド人がどんな生活をしているのかとか、やっぱりインド映画は本国と同じくらいにタイムリーにやっているのかとか、はたまた知人に頼まれたインド人アーティストのCDを探していたりとか、思えば、普通のフィジー旅行者とは少し違ったのかもしれない。
私は、「たまたま知り合ったのがインド系の人とは奇遇だな」と思っていただけだが、いつの間にか彼の方は暴走していた。

例えば、私とKさんの様に一人旅をしていると、旅先で出会った人と同じ目的地まで一緒に行動したり、一緒に食事をしたり、情報交換をするのはごく普通のこと。だから、今、会ったばかりのこの外人に「今日一緒に食事しない?」とか「インド映画、そこの映画館でやってるよ。見に行く?」とか言われたことが、デートの誘いと誰が思います?ここは、日本じゃなくて、オーストラリアじゃなくて、フィジーなんだから。

「ホントに?オーストラリアじゃ誘ってもみんな断られるのに・・・」

今思えば、彼のこの発言の意味に早く気がつくべきだった。そう言えば、あのときKさんも引いてたしなぁ。
ドミ
【スバのホテルのドミ】


大学で物理を専攻していて、哲学に興味があって、学生時代は勉強ばかりで女っ気一つ無い上に、インドに住んでいた両親は亡くなり、オーストラリアには友達がおらず、毎日9時から15時まで仕事場で子供の相手をするだけ(実は小学校の先生)。そして、デートの誘いは断られまくりなんだそうだ。

ごめん。断る気持ち、ちょっとだけわかった。だって、哲学をしかも英語で語られてもわかんないのである。日本語でもわからないのだから英語はちょっと・・・。

翌日、自分で探そうと思っていた友人のCDを私が寝ている間に探し出してきてプレゼントされたり、マクドナルドで朝食をテイクアウトしてきてくれたり、すこしだけ困ってしまった。
私は店員とわいわい会話しながら、自分でCDを探しだしたかった。 朝食にマクドナルドをチョイスするつもりはなかった。

たぶんこの人は空気を読むのが下手なんだなぁ。そのあたりはやっぱりインド系の人っぽい気がする。十派一からげに語ってはいけないが、インドの人は自分の意見を「正しい」と人に押し付けるところが多々あるからだ。

きっぱりとはっきりと、自分の意志を伝えられない私も悪いが、まあ、もう会うこともないでしょう。
こういうときはちょっと男でいたかったと思う。

では、スバをうろついた様子はこちらからどうぞ。

【フィジー(島巡り編)旅行記 目次】

フィジー旅行記 世界で一番早い新年を! プロローグ
第1話 旅は徒然。連れ連れ。(バンコク)
第2話 まずはクロンヤイでぷはーです。(クロンヤイ:カンボジア)
第3話 ココンの国境ひ~らいた。(1)(ハートレーク、ココン:カンボジア、タイ)
第4話 ココンの国境ひ~らいた。(2)(ココン:カンボジア)
【写真集1】ココンで1日遊びました (ココン:カンボジア)
第5話 ええっ、罰金?! (ココン - バンコク:カンボジア)
第6話 夜中の一人歩きにご用心。(バンコク:タイ)
第7話 タイが微笑みなら、フィジーは笑顔の国。(ナンディ - ラキラキ)
第8話 けんかをやめて~っだ。(ラキラキ - ナナヌイラ島)
第9話 強風吹き荒れるリゾートしま。(ナナヌイラ島)
【写真集2】ナナヌイラ島で3日遊びました。(ナナヌイラ島)
□第10話 スバのドミトリーでのいろいろ。(スバ)
【写真集3】スバ近郊散歩。(スバ)
第11話 ガーデンアイランド タベウニへ。(スバ - タベウニ島)
第12話 離島で無料でヒッチあり?(タベウニ島)
第13話 世界で一番早い新年を。(タベウニ島)
第14話 フィジアンのお正月を写そう。(タベウニ島)
第15話 タベウニ島を歩いてみました。(タベウニ島)
【写真集4】ガーデンアイランド・タベウニ島(タベウニ島)
第16話 なぜ君がここにいる・・・。(ナンディ)
エピローグ (ソウル、日本)

■旅の履歴:フィジー個人旅行 2002年12月~2003年1月

タグ:インド系オーストラリア人|スバ|ドミトリー|フィジー旅行記|相部屋

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